イスタンブール
激動の歴史の目撃者、アヤ・ソフィア(みたいな感じ?)
イスタンブールの歴史地区 1985年登録 トルコ
イスタンブールにはイスラム寺院であるモスクがたくさん林立しているのですが、
特に有名なのは旧市街の丘の上に立つ「アヤ・ソフィア」かと思います。
「アヤ・ソフィア」はトルコ語ですが、ほかにも古典ギリシャ語である「ハギア・ソフィア」とか
「聖ソフィア大聖堂」と表記されることがあり、少し紛らわしいのです。
なぜギリシャ語が登場するのかというと、
イスタンブールがビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都である
「コンスタンティノープル」と呼ばれていた時代には、
住民のほとんどがギリシャ人だったからです。
ですからビザンツ帝国の文化はギリシャ的になっていきましたし、
宗教面からみてもローマから継承したキリスト教はローマ教会と違った独自の発展をとげ、
ギリシア正教といわれるようになりました。
その総本山として、二度に及ぶ焼失を経て6世紀に建てられたのが現在の「アヤ・ソフィア」です。
地上55メートル、直径33メートルの巨大な中央ドームを周囲の半円ドームが支える建築構造なのですが、
中に入るとその大空間に度肝を抜かれます。
モスクへの改修時にメッカの方向を示すくぼみであるミフラーブが加えられました。
一般的にドーム型天井の聖堂というものは、
荘厳さと気品に満ちた空間の中に包まれているかのような感覚を与えるものですが、
アヤ・ソフィアは天井が高すぎるのと建築構造の迫力がありすぎて、
筆者の場合は「うわっ」「なんじゃこりゃ」と品のない言葉が口をついてしまいました。
大きな建物を日常的に目にする現代人の我々でさえ驚くのですから、
当時の人々にとってはいかばかりのインパクトを与えたことでしょう。
その後1000年近く、ドームの重量がありすぎることで崩落しては修復しての繰り返しだったのですが、
さらなる環境の変化がアヤ・ソフィアを襲います。
馬にまたがるのはコンスタンティノープルに入城するメフメト2世です。オスマン軍コワすぎます。
1453年にコンスタンティノープルがオスマン軍率いるイスラム勢力によって占領されたのです。
普通に考えれば、異教の建造物は破壊の対象となるでしょう。
しかし征服したメフメト2世はアヤ・ソフィアの美しさに感銘を受け、聖堂を完全に破壊するのではなく、
わずかな改修に留めてモスクへ転用したのです。
またビザンツ芸術を代表するものして、聖堂の壁や天井をうめつくすモザイク画がありますが、
アヤ・ソフィアのモザイク画は漆喰で塗りつぶされはしたものの破壊はされませんでした。
結果的にそのおかけでいい状態のまま保存されることになり、
20世紀の前半に壁の中から再発見されました。
現在アヤ・ソフィアは博物館として公開されており、
西洋のビザンツ美術と東洋のイスラム美術が交じり合った傑作として、
複雑な歴史を私たちに伝えています。
元来の名称であるハギア・ソフィアはギリシア語で「聖なる神の叡智」を意味しますが、
どのような神を信仰しようともみなが共存していけるような国際社会の実現を、
文化という側面から叡智をこらして世界遺産委員会でも示していくのではないかと期待しています。
アヤ・ソフィアの外観です。塔の高さを誇ったカトリックの聖堂とはだいぶ趣が異なります。
漆喰で塗り固められた内壁に、イエスのモザイク画が見つかりました。
内陣すべてをカメラに収めることが不可能なくらい広いのです!
半円ドーム中央のモザイク画は「聖母子」が描かれ、円盤にはコーランの文字が記されています。