聖なるインドで弾丸世界遺産ツアー(前編)

インド。
そこそこ海外渡航歴がある私にとって、そこは未踏の地でした。
バッグパッカー時代、インドでぼられたとかうざかったとかいう話を
さんざん旅人から聞き、なんとなく敬遠していたのです。

しかし、世界遺産的にはやはりはずせません。

2019年夏、ついにインドビザを取得しました。
がタイミングを逸し2月3日にビザが切れるという事態に。
せっかく時間もお金もかけてとったビザを無駄にしないためにも、
有効期限内にインドに行くことにしました。

インドは仏教発祥の地です。
インドの文化遺産を大雑把に分けると、
仏教がらみとそれ以外、ということになります。今回は「それ以外」にしました。
インドの首都デリーを含む3都市をめぐる
「ゴールデン・トライアングル」といわれる一帯です。
各250kmずつ離れた3都市には多くの世界遺産が集中しています。

そこを短期間で効率的に、かつリーズナブルに回るには、
個人旅行よりもツアーが適していることがわかりました。
私は団体行動があまり得意でないのでほとんどツアーを利用したことがないのですが、
今回は素直にツアーを利用することにしました。5日間の超弾丸ツアーの始まりです!

力を誇示する赤い塔

まずはデリーに降り立ちました。深夜に到着して翌日朝から市内観光です。
世界遺産1ヵ所目は『デリーのクトゥブ・ミナールとその関連施設』。
市内から10kmほど南にいったところにあります。
「クトゥブ・ミナール」は72.5mありインドに現存する最も高い石塔です。

下から見上げると、
細かな細工がよくわかります

睡眠時間3時間ほどで朝から観光。
クトゥブ・ミナールがかすんでいるのは
頭がボーっとしているせいか
天候のせいなのか・・

敷地内にある800年間さびていない鉄柱。
こういうの、オーパーツともいいますね

お、朝もやのなかに赤い塔が見えてきました!
赤砂岩で作られているので、青空に映えます。
今の感覚でいえば、高い建物といえばビルやタワー、灯台など何かしら用途があることが普通です。
あるいはモスクの隅にたつミナレットなど装飾的な意味合いがある塔もありますが、
この塔は権力を示すために築かれました。
1200年頃、インドを征服した外国からの侵略者が戦勝記念に立てたのです。
800年も前に、いったいどうやってこんなに高い塔を立てたのかと現地ガイドに尋ねたところ、
遠方から傾斜をつけた坂道を作って石を運んだそうです。
最終的には2km先から運んだとか!
ピラミッドでも同様の説があります。

元祖タージ・マハルの霊廟とは?

クトゥブ・ミナールの周辺施設には、インド最古のモスクなどいろんな見所があります。
しかしツアーの宿命で駆け足で見学して、次は「フマユーン廟」へ。

どうでしょう、タージ・マハルっぽいですか?


これは先ほどの遺産とは時代が異なり、16世紀にムガル帝国がインドを支配して以降の建造物です。
今回のツアーでは、ムガル帝国期に建てられた遺産を多く見ることになっています。
フマユーンは2代皇帝であり、その霊廟が世界遺産に登録されています。
彼は図書館の階段から転落して亡くなってしまいました……。

フマユーン廟にも赤砂岩が使われています。
形は、「タージ・マハル」に似ていると思いませんか?
左右対称で、ペルシャ式庭園の中に霊廟が建てられるスタイルは、
そのまま後のタージ・マハルに引き継がれました。
大都会デリーの中で、緑豊かな霊廟はちょっとしたオアシスになっているのかもしれません。

さらにデリーにはもう一つ「レッド・フォート」という名前どおり赤い城があるのですが、
ここは時間の都合で外観のみでした。
フェンスのはるかかなたに、メインゲートが見えています。
せめてあと10分あれば門の正面から写真が撮れるのに。
非常に日本語が達者な現地ガイドさんも、ひきつって笑うしかなかった私を見て
「なんで笑うの?」とフシギそうでした。
日本人はツライときは笑うんです! 「はい、じゃあ次ね~」と情け容赦なく旅は進むのでした。

はるかかなたのレッド・フォート

■世界遺産データ: デリーのクトゥブ・ミナールとその関連施設(文化遺産)
インド。1993年登録。インド最初のモスクとクトゥブ・ミナールは、
12世紀後半にデリーを征服し奴隷王朝を開いたアイバクがつくった建造物。
敷地内には、築かれて800年たつ「さびない鉄柱」があることでも有名。

■世界遺産データ: デリーのフマユーン廟(文化遺産)
インド。1993年登録。ムガル帝国2代皇帝フマユーンのため、王妃の命により1570年に完成した。
インド初の本格的なイスラム廟建築で、ペルシア様式の融合もみられる。
約1世紀後のタージ・マハルにも多大な影響を与えた。