タージマハル

先日、上司がインドへご夫妻で旅行に行かれました。
私自身はインドへ行ったことがないのですが、
30件もの世界遺産を有していますし、必ず行きたいと思っています。
上司は、不衛生だし道路はデコボコで移動がつらいし、とぼやいていましたが。

インドを象徴する建物といえば『タージ・マハル』ではないでしょうか。
あの白亜の建物は何のために造られたと思いますか?
王宮もしくは寺院だと思いがちですが、実は霊廟です。
「世界で最も美しいお墓」と称され、
そして最も「愛」にあふれた世界遺産かと思います。
今回は、心から愛していた王妃を失った王の物語です。

ムガル帝国皇子と娘の出会い

場所はインド。時は、17世紀。
その当時、インドではムガル帝国というイスラム国家が国を治めていました。
ムガル帝国は建国の約100年後に絶頂期を迎えますが、
そのとき皇帝であったのは、5代目のシャー・ジャハーン帝です。

シャー・ジャハーン。色男であった、がどうかはよくわかりません


権力者ともなればハーレムに何人もの側室を抱えるのが当然だったイスラム世界にあって、
彼は、側室をとらずに王妃だけを愛しました。戦場にも伴ったといいます。

皇帝につく前であった皇子は、ある娘に一目ぼれして結婚ぼれして結婚に至ります。
娘は嫁ぐときに「ムムターズ・マハル」、すなわち「宮廷の選ばれし者」という名前を与えられました。

ムムターズ・マハル。皇子が一目ぼれするほどの美人だったようです

妃は王に溺愛され、14人もの子どもをもうけます。
ところが、14人目の子どもを生んだ直後に、
遠征先で36歳の若さで亡くなってしまったのです。
彼女は王に、わたしの立派なお墓を作ってほしい、という遺言を残したのでした。

嘆き悲しんだ皇帝は、国中が2年間の喪に服すことを命じます。
そして、世界各地から最高の資材と職人を集め、霊廟建設に打ち込みました。
1,000頭ものゾウに石材を運ばせたとか。
そうして22年もの歳月をかけて完成したのは、白い総大理石の贅をこらした霊廟。
これが、「世界で最も美しいお墓」といわれる『タージ・マハル』なのです。

しかし時間とお金をあまりに使い果たした結果、
なんと国庫が底をついてしまいます。
工事のために動員された民衆の不満も高まっていました。

それなのに、皇帝は、さらなる壮大な夢がありました。
『タージ・マハル』のそばを流れるヤムナー川を挟んで、
対岸に自分の霊廟を黒大理石で造らせ、
橋でつなぐというものだったのです。

この壮大な愛のストーリー、もしかしたら知っていた読者もいるかもしれません。
いくら国庫が傾いたとはいえ、王妃に一途だったと思えば致し方ないかとも思えます。

韓国ドラマもびっくりの展開

しかーし!ここで風向きが変わるお話をしたいと思います。
実は、皇帝は妃が亡くなった後側室を増やし、
多数の家臣の妻とも関係を持ったといいます。
つまり、霊廟を造るのと側室がいたのとは同時平行なのです。
うーん、男心ってわかりません。
これも元妃への愛ゆえ、寂しさを埋めるため、なのでしょうか?

そして『タージ・マハル』も完成しようかというころ、
皇帝は60歳近くになっていたのですが、
精力剤の使いすぎで病にふせってしまいます。
そして元妃が産んだ息子たちが、帝位を巡って骨肉の争いを繰り広げる始末。
なんだかここまでくると、韓国ドラマを見ているような展開ですね。

そしてシャー・ジャハーンは、帝位を息子に奪われて
『アーグラ城』に幽閉されてしまうのです。
3代目の皇帝が築いた『アーグラ城』は、ムガル帝国の栄華を伝えるものとして、
こちらも世界遺産に登録されています。

ここからのストーリーは、またご存知の方も多いかもしれません。
アーグラ城とタージ・マハルの距離は2kmほど。
彼の部屋からは、遠くにタージ・マハルが望めたといいます。
亡くなるまでの8年間、城を出ることも許されず、
日々窓からタージ・マハルを見ながら涙にくれたのでした。

いま、彼は愛妃の隣に眠っています。
息子がそれを許してくれたのです。
イスラム建築の特徴は、見事なまでのシンメトリー(左右対称)なのですが、
タージ・マハルの中で、愛妃のお墓に寄り添うように築かれた
シャー・ジャハーンのお墓だけが、その均衡を崩しているのです。

単純に「めでたしめでたし」と言えないようなお話でしたが、
世界遺産もこうした背景を知りながら見てもらえると、
また味わい深いものがあるかと思います。
あぁそれから、愛妃を失った後の皇帝の心理がわかる方、
こっそり教えてくださいね。

世界遺産データ:タージ・マハル

緻密に計算されつくした設計です2

インド。1983年登録。インド・イスラム建築の最高傑作と称される。
世界各地から集められた職人が建設にかかわり、
なかにはフランスの金細工師やイタリアの宝石工もいた。
石材は1,000頭のゾウに運ばせたという。
1632年に着工し、1653年に完成した。

緻密に計算されつくした設計です

赤砂岩で作られたので
真っ赤な外壁をもつアーグラ城