広島平和記念碑(原爆ドーム)

1996年登録(文化遺産・日本)
4月10日、11日に広島で開催された主要7カ国(G7)外相会合に出席するため、
各国外相が広島市を訪問しました。
当初、広島平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑の訪問が予定されていましたが、
ケリー米国務長官の提案で、急遽、予定になかった原爆ドームも見学することとなりました。
被爆地の訪問は外相たちの心を大きく動かす出来事となったようです。

建築家・丹下健三の傑作と称される広島平和記念資料館

建築家・丹下健三の傑作と称される広島平和記念資料館現在「原爆ドーム」と呼ばれる建造物は、
1915年に広島県物産陳列館として開館しました。
完成してから昨年で100年を迎えています。
設計者はチェコ人のヤン・レツルです。
当時としてはとてもモダンなもので、広島市民自慢の建物でした。

広島平和記念資料館には、実物を忠実に再現したレプリカがあります


その後何度か改称があり、第二次世界大戦のさなかは広島県産業奨励館と呼ばれました。

大正期には広島県立商品陳列所と改称されました。ネオバロック式の建築様式です。

そして1945年8月6日午前8時15分に原子爆弾が投下されたのです。
産業奨励館近くの、T字型という特異な形状をしている「相生橋」が目標地点とされました。
原爆は産業奨励館付近の約580m上空で爆発しました。
爆心地から半径約2km内の建物は全壊・全焼しましたが、
産業奨励館はほぼ真上から爆風を受けたことやレンガ造りで窓が多い造りだったため、
かろうじて全壊を免れました。

いまでこそ世界遺産として保護され、
世界中の誰もが知る唯一無二の建造物となりましたが、
実は戦後はつらい記憶を呼び起こさせるものであるとして撤去を望む声も多くあったのです。

原爆による白血病で死去した少女をモデルとした「原爆の子の像」


撤去か保存か、意見は割れましたが1966年に広島市議会が永久保存することを決議しました。
つまり保存が決まるまでに20年を要したということです。

原爆ドームは3度の保存工事を経ており、さらに3月まで耐震補強工事が行われていました
一概に比較はできませんが、東日本大震災の震災遺構をめぐる議論は、
原爆ドームの事例からさまざまなことを学ぶことができるかもしれません。

世界遺産とは、国際平和の実現をめざすユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が取り組む文化遺産事業の大きな柱です。
世界遺産として原爆ドームが登録されていることは、
とても大きな意味をもつと思います。
今回の外相会合では、核兵器のない世界の実現に向けたメッセージを盛り込んだ
「広島宣言」が発表されましたが、原爆ドームの存在はその宣言を形骸化させない核となっているように感じました。

慰霊碑、平和の灯、そして原爆ドームが一直線にならんでいます。これも丹下による設計です

※広島平和記念資料館では現在改修工事を行っており、
平成28年10月(予定)まで東館の常設展示室等を閉鎖し、本館のみ開館しています。
詳しくはHPなどでご確認ください。