聖なるインドで弾丸世界遺産ツアー(後編)
デリー・ジャイプール・アーグラの3都市を1日1都市ずつ巡るインド弾丸ツアー、
2日目午前中にジャイプールの観光を終え、
ツアー客を乗せたミニバンはアーグラを目指します。
その途中、アーグラから1時間くらい手前のところで
世界遺産『ファテープル・シークリー』に立ち寄りました。
とんでもない装飾の柱。この上に玉座があり
皇帝は面会者を見下ろしました
3日間つきっきりだった
イケメンガイド・ラッキーさん
いつか役立つかもしれないムガル帝国の歴史
ここはムガル帝国3代目の皇帝が遷都した都市です。
そもそもムガル帝国ってなんなんでしょう。
世界史で聞いたかも?というぼんやりした記憶をお持ちの方がほとんどだと思います。
長らくヒンドゥー教が信仰されてきたインドの地に、
16世紀前半に乗り込んできたイスラム王朝です。
アーグラ城の入り口。ムガル帝国の権力を象徴するかのように堂々としています
ここでひとつとっておきの情報を披露しましょう。
ムガル帝国が成立したのは1526年。
「アイ(1)・ゴー(5)・ツー(2)・ム(6)ガール」、
ほら一発で覚えられたでしょう?
……痛い視線を感じつつ話を進めますと、
ムガル帝国はその後300年近く続くのですが、
人民はみんなヒンドゥー教徒なのでとってもアウェイなわけです。
皇帝によっては人民との融和政策を図ったり、別の皇帝はイスラム教を強要したり、
コロコロ対応が変わります。そして都もコロコロ変わっています。
そのうちのいくつかが世界遺産になっている、という次第です。
占い師への感謝のために建てられた都とは?
『ファテープル・シークリー』は3代皇帝アクバルが築きました。
ムガル帝国を代表する偉大な皇帝と言われます。
領土も拡大し、人民からも人気があり、すべてを手に入れたと思いきや、
唯一の悩みは世継ぎに恵まれないことでした。
ところが、シークリーという地に住む占い師が、子宝を授かると予言してその通りになったんです!
アクバルはそれを記念して、占い師の住む小さな村に遷都しました。
たった14年しか使われなかったんですけどね。
偉大な皇帝たるもの、決断はすばやく(きまぐれ?)というのがポイントなのでしょうか。
廃墟となった後も打ち壊されることがなかったので、
遺跡の保存状態が非常にいいです。
アクバルがヒンドゥー教徒と融和を図ろうとしたことは建築からも見て取れます。
この遺産についたのは閉館間際の夕暮れ時でした。
そしてアーグラに到着して向かったのはホテル、ではなくお土産屋さんだったんですねー。
そこで希望者はサリーなどの民族衣装をオーダーし、
翌朝訪れる『タージ・マハル』に着ていきましょう、という流れになっていました。
はい、筆者ももう空気を呼んでオーダーいたしました!
「日本に帰ってからいつ着るんだ」などとカタイことを考えるのはやめて、
布地を選び出すとはまってしまい、1時間近く悩んでしまいました。
タージ・マハルへいざ出陣!
翌朝、例のお土産屋さんにまず立ち寄り、女性陣は仕立てあがった民族衣装に身を包みました。
お互いを「似合うよー」とほめあいながらついに『タージ・マハル』へ。
ここは5代皇帝シャー・ジャハーンが愛するお妃を失った悲しみから、
20年という膨大な時間と途方もないお金をかけて造った霊廟です。
ガイドさんいわく、持ち物に制限があり厳格にチェックされるとのことで、
ペンも本(紙類)も持ち込めませんでした。
ツアー中は始終ガイドさんのトークをメモしていたので、
これには参りましたが仕方ないです。
遺産保護の方法としてこういう考え方もあるのだな、と思いました。
正門をくぐると『タージ・マハル』が目の前に姿を現します。
思わずため息が漏れたのですが、
この感覚、「アンコール・ワット」を目にしたときにもありました。
実物は、あまりにも圧倒的で、地上にひらりと舞い降りた楽園のようでした。
強制ではありませんが、カメラマンが5枚1,000円で撮影してくれるということで、
はい、空気を呼んで撮ってもらいました。
せっかく民族衣装を着てるんだし、と自分なりに頑張ってポーズを作っては見たものの、
受け取った写真はことごとく顔が能面のようでした……。
写真一枚とるのにもキャッキャキャッキャ盛り上がれる女子大生がうらやましい!
ベストポジションは奪い合い。筆者も頑張りましたがどうですか?
皇帝が8年間幽閉された悲しみの城
今回のツアーの最後を締めくくる世界遺産は『アーグラ城』です
(筆者はさすがに恥ずかしいので事前に服を着替えました)。
ここはアクバルが築いた城で、『ファテープル・シークリー』に遷都する前に居城としていたところです。
『タージ・マハル』から2kmほど離れているのですが、
それぞれの位置からはお互いの姿を確認することができます。
『アーグラ城』には、『タージ・マハル』を建てたシャー・ジャハーンが晩年に息子に幽閉され、
日々『タージ・マハル』を遠くに眺めながら思いにふけった、という有名な「囚われの塔」があります。
囚われの塔。遠くにタージ・マハルが霞んでいます
それから城の中には、『タージ・マハル』から離れれば離れるほどなぜか大きく見える、
という摩訶不思議な場所がありますので、
現地を訪れる人は必ずガイドさんに教えてもらってくださいね!
その後はデリーへと戻り、あっという間に旅は終わりました。
それぞれの世界遺産のイスラム様式やヒンドゥー様式の装飾が非常にすばらしく、
ひたすら感動した3日間でした。
しかしインドってどんなところ?という問いには何も答えることができません。
今筆者に言えることは、インドの世界遺産はスゴイ、
そしてガイドがイケメンだった、ということだけです。だからまた、アイ・ゴー・ツー・ムガール!
霊廟を真下から見上げました。コーランの文字や花模様で彩られています
■世界遺産データ: ファテープル・シークリー(文化遺産)
インド。1986年登録。「勝利の都」という意味をもつ。
イスラム建築とインドの伝統様式を融合させた建造物群が評価された。
この都市は水不足が深刻となり、1574年に遷都されて以降わずか14年で放棄された。
■世界遺産データ:タージ・マハル(文化遺産)
インド。1983年登録。インド・イスラム建築の最高傑作と称される。
世界各地から集められた職人が建設に関わり、
中にはフランスの金細工師やイタリアの宝石工もいた。
石材は1,000頭のゾウに運ばせたという。1632年に着工し、1653年に完成した。
■世界遺産データ:アーグラ城(文化遺産)
インド。1983年登録。3代皇帝アクバルが16世紀半ばに首都アーグラに建設した城塞。
赤砂岩の城壁に囲まれている。堅固な外部と対照的に内部は豪華で、
シャー・ジャハーンが改築した白大理石の宮殿などがある。